欲しいのは「転換期」

このブログも立ち上げてから1年はとうに経った様に思います。

正直、マンネリの様相を呈して参りました。

 

欲しいぜ、転換期。

 

 

 

どこにお前は行きたいんだぜ

転換期を求めるからには、行きたい所を見つける必要があります。行きたい所、やりたいこと、このブログでやりたいこと……ううむ。

 

今まで色んなことをこのブログで取り上げて参りました。

ミニマリスト目指してみたり(挫折したユング的な精神分析に興味出してみたり(挫折した)うまいこと言いたいだけの記事書いてみたり。

つらつらと、連ねて思うことは。

あっこいつ一貫性無えな…………

という真顔100%の概観でしかなく。

そもそもの問題としてこれは、私の中に木を育てきるだけの養分たっぷりな土が存在しなかったのでは、というような気もしてまいりました。

 

土とは

土、土台、人間としての資質、つまりは価値感。

一人の人間として、ひとつの世界を測り切るだけのものさしすら満足に持てていなかったんじゃないか?世界というあまりにもでかい情報量のものを分析しようとするには、足元が覚束なさすぎるんじゃないのか?

そんな考えが私の中をよぎるようになってきたのです。

それは私のコンプレックスである、内面の子供っぽさから目を背け続けてきた結果……のような……気がしないでも………ないような……………

 

 

結論から行きましょう、このブログをもうちょっとまともにするために必要なものは何か

  1. 著者の過去や現在の公開
  2. スタンスの確立
  3. 定期的な更新

一にもあるように私は自分の性別、立場、職業、過去のトラウマから現在のメンタルヘルスまで、全部隠したままこのブログを書き続けていました。

それは見てる人に先入観を持って欲しくないからだったり(特に性別)そこまで赤裸々に晒すことに抵抗があったり(トラウマとか)したからです。

私自身、将来がどうなるかわかりません。悲惨な未来を辿るのか、割といい人生送れるのか、今がその岐路にあって本当によくわからないのです。もし万が一、このブログが私の弱点になっては困る。そんな考えが私の中にあったのです。

だからトラウマを深く掘り下げなかった。自分のような苦しむ人に寄り添いたい、そう思いながらも自分自身の経験を赤裸々に出せないでいた。

私自身、もう過剰に自分の過去を隠すことをもうやめたいと思ってきているというのもあります。自分が思ってきたことを、言えなかったことを、もう隠さないでありのまま全部、このブログにくらいぶちまけてもいいんじゃないかって、最近ではそう思います。

そうしないと自分自身が定義できない、そんな気がするんですよ。

2の自分のスタンスの確立というのはそういうことで、つまり自分が何ができるのかわからないから色々チャレンジしてみたいと、そういうことです。

自分の過去も全て洗いざらい吐いて、そこから今の自分を見つめ直せれば、やっとそこでやりたいことが見つかるんじゃないかと、そういう思いがあります。

 

そんな感じで行きたいです。