善行を善行でなくするという善行

例えば君が善行をしない理由。



善行。善であること。
この際、善悪の定義は曖昧でファジーなものにしておこう。
その曖昧な善行という行動について、ただひとつはっきりと言えることがあるとすれば。
それは皆が先んじてやりたがるようなものじゃないってことだ。


皆が先んじてやりたがるようなことって何だろう。それは利益があるってことだ。人より高く売ればトクをする、人より早く見つければトクをする。
実利的なものは生まれると同時に食い荒らされる。食い荒らされて出来た泡がはじけて実利的なものを生む。
そうして社会は少しづつ前の方へ。実利的なものは常に進化し、仕組みをより効率的なものにする。



それに対し、善行ののろまさよ。

善行は、人が万物の霊長になったその日から変わらず在り続ける。具体的に言うならば、日々のごみ出しであり、募金活動である。つまりはつまらない上につましくて誰がやっても変わらなければ押し付け合いも終わらない、まったくつまらない、進歩のしの字も無いようなしみったれたシステムなのであった。
まあ、一言で言うならば「他人のためにしかならない活動」である。
この時点でもう、どうしようもないのがわかるだろう。

「誰がやっても結果は同じ」であるが「執行者は利益を受けられない」となると、そんなものは誰かがやってくれるのを待つのがいいというのは自明の理だろう。そんなものやったって意味が無い。そんな特殊効果のあるカードを使う奴が居るわけない。いや居るかもな。いやいやいや。

とにかく、とにかく。
「善行」というシステムには致命的な欠陥がある。なのになぜ、まだその古いシステムは使われ続けているのか?

否、使われ続けているというのには語弊がある。一部で破綻し、ゴミはたまり放題のままで、見かねたお局様が怒りながらやるような、そんな古ぼけたシステムになっている。
そんな欠陥持ちのシステムを今まで回していたのは誰だったのか?

それが「善」というものである。


つまり、道徳である。時代を下れば儒教であり、キリスト教であり、ノブレスオブリージュから武士道から、エトセトラエトセトラ。そのようなものが為した役割は何か。「高潔の価値化」である。
善行を、ぶっちゃけて言えば「めんどくさいこと」をやった人間には褒美を与えよう、と名言したのがこれらの文化的教育の意味である。
とはいえ、その利益は実利的なものではない。何故か。それは今善行がなされていないからである。
とにかく忘れないでいてほしいのは、善行を行うことに全く実利が無いってことである。
それがまったくもう、困っちゃうポイントなのである。論点なのである。

話を戻して。では、そんな教育が、「善行の対価」として担保したものとは何なのかというと、それは「精神的安定」なのである。
キリスト教は「天国」仏教なら「悟り」ノブレスオブリージュなら「自身の高潔さ」つまり、「アンタはすごい!」という言葉だけ与えられて実際「物」は何一つ与えられていない、ということに気付けるだろうか。

別にそれが悪いとか言いたい訳ではないのです。それで精神的安定が得られていた時代ならそれで良かったのです。
でも、もうアポロ11号は月へ行っちゃいましたから、そうも言ってられません。これが「善行の破綻」なのです。






破綻した善行を、いかに回復するべきか?
やる気があったらまた【後編】で会いましょう。