クニョマヌウットン族の日常について※くそ長いよ

クニョマヌウットン族の朝は早い。
モンケペべべの鳴き声は彼らの目覚まし時計だ。朝日と共に甲高い声を上げるダカン種のモンケペべべは、その日の朝食にもなる優れた家畜である。
その肉と骨はここでの生活を支えるのに必須だが、それを捕まえるのは至難の業だ。
何せ体外にまで張り出した45対の肋骨には毒があり、その内28対に追尾性能がある。
イルカ並の高い知能と高速移動するキャタピラを持つ彼らもかつては大海のサーベルタイガーと呼ばれたものだが、その高すぎる知能ゆえに論理パズルを出せば数秒間フリーズするという特性を持つ。
僕がこの村に来てから早くも4年が経とうとしている。都会育ちだった僕もこの地に育まれ逞しくなり、論理パズルを高速で出題する滑舌が備わった。
そう、僕がこの村に来ようと決意したのは――――






――から始まる本を書こうと思っているんだ。
やあ、君。手紙なんていつぶりだったっけ?







そう、だから僕は思うんだ。
なんで誰もクニョマヌウットン族の村に来ないんだろうって。
いやわかるよ?ここ来たくないもん。
ウォシュレットなんて無いし。
でも来ないのもおかしいんだよ。
クニョマヌウットン族の本書いてるってのにさあ、取材にも来ないし。
この間、ある本が届いたんだ。クニョマヌウットン族をモチーフにした本。
評価が高いって聞いたから、伝手使って取り寄せたんだ。
けどさ、肝心のクニョマヌウットン族の描写がひどいの。もう、これもはやクニョマヌウットン族じゃないよ。ババマグロザジ人だよ。
でもさ、これ聞いて君はわけ分かんないって思うだろ?
だってこの本、ベストセラーなんだから。



彼らだって調べていない訳じゃないんだ。彼らもクニョマヌウットン族の本を出版する以上、色んなとこからから資料を揃えて、読み込んでこの本を書いたのだろう。
それでも所々に間違いが見つかってしまうんだ。例えば小さな言い回し。「モサドは目を焼く日差しに悪態をつくと、そのまま階下へと飛び降りた。」
彼らは太陽を信仰している。決まった礼拝なんかは無いけど、太陽に無礼な振る舞いをしたものはひどく叱られる。
もちろんこの本はフィクションだ。クニョマヌウットン族の少年をモチーフにした明るく楽しい冒険活劇だ。
フィクションとしてはこの表現はありだと思う。主人公の悪ガキさがよく出てて、僕は好きだ。
何より、こういう言い回しにした方が楽しい。楽しいのはいい事だ。だってこれはフィクションなんだから。
でもクニョマヌウットン族にお世話になってる身としては、この表現はダメなんだ。



誓って言うが、僕は何もこの本を糾弾したいわけじゃない。
ただ、なんて言うのかな。
こういう文章は、心の無意識の部分に争いの種を植えてしまうんだ。
そうだ、聞いてくれよ。僕はここでも毎朝髪を整えて、髭を剃ることにしてるんだ。20年やってきたことだからね、そう簡単には抜けないのさ。髭剃りは無いから、バルザクンバを作るのに使う1番小さい刃物を借りるんだ。
そうして髭をそって髪を撫で付けて、さっぱりして水場から出るとね、子供たちは僕を見て「まただいなしになった」って笑うんだ。おかみさんもね、髪と髭を整えた僕を見るとちょっと呆れたような顔をする。
彼らにとって髪とか髭っていうのは男らしさの象徴なんだ。そしてその量は多いほどいいし、ねじれて荒くれているほどいいとされている。逆に、髪を切ったり髭をそったりするのは大地からの恵みの放棄であって、失礼なことなんだ。
何をされたら嬉しいのか、何をされたら怒るのか。そういうことが全く違う。
そういうことってそっちだと無いだろ。自分が嫌なことしたら嫌われるし、自分がされたいことをしたら喜ばれる。当たり前のことすぎて気付かないけど、それって恵まれたことなんだ。
ええと、話が脱線しちゃったけどね、つまり僕が言いたいのは「物の見方が全然違う」ってことなんだ。




こんな話を君にするのもおかしいかもしれないね。君、そういう本は書かないからね。それよりもここの北にあるタポイ運河に住むマタタイの習性の方が好きそうだ。あ、今度マタタイの前ヒレ送るね。傷の少ないのが獲れたんだ。
ああ、そうじゃなくて。だからさ。
「そんなの著者に言えばいいじゃないか」って君は言うんだろうな。
けどさ、そんなのがリストアップされた手紙を君は読みたいと思うかい?
間違いなんていくつも、いくつもあるんだ。しかもすごく細かいんだ。さっきのを見て分かっただろ。あんな感じ。
ちょっとした言い回しとか、そぶりに間違いが出るんだ。
例えばさ、話のキモの部分がおかしかったりしたら言えるよ。そもそも話が成り立たなくなっちゃうんだから。そこはもう、作家も編集も読者も、みんなで見張らなきゃいけないところだ。
話に苦情が来るってそういうことだろ?面白くなきゃ小説として正しくない。破綻してたら小説として正しくない。
僕達が守らなきゃいけない正しさってそういうことでさ、でも歴史上何度もその正しさが脅かされてきたよな。分かってるんだ。
だからこそ、僕ら作家ってのは面白さ至上主義じゃない、別の世界の正義を求められるのが怖いんだ。
あの本は小説としては間違ってないんだ。
でも、伝えようとすると「あなたの小説は間違ってる」って言わなきゃならなくなる。
そしたらきっと話も聞いてもらえない。
クニョマヌウットン族がこれ以上誤解される前に、僕の正義を聞いて貰いたい。
けどそうするには、あまりにも表現ってものが権力に振り回されすぎたんだ。





ここに来ればいいのに。実際にクニョマヌウットン族に触れてみればいいのに。そう言うのは簡単だ。
けどここはアマゾンの奥地。簡単に来れるような所でもないし、クニョマヌウットン族もよそ者を好まない。そう多く来られても、トラブルの種が増えてクニョマヌウットン族が批判されるだけ。そう考えると、知り合いのジャーナリストにもそう簡単に来いとも言えなかった。

それに、クニョマヌウットン族の本を書く人達がここを訪れなくなった理由がもう一つあってさ。
もう都会には本が溢れすぎているんだよ。
本屋の情報端末でクニョマヌウットン族を検索してみてよ。きっと100を超える関連書籍があることだろう。本にならなかったものはきっとそれ以上ある。ミニコミ紙、雑誌のコラム、新聞の読者投稿欄、あるいは日々の噂話。それら全部を集めたらいったい何ページになるのだろう。
それを見たら君も思うに違いない。「これを全て見て、聞いて、読んだのだから、実際に行かなくても十分正確な本は書けるだろう」って。
その中で何パーセントが実際にこの地を訪れて書かれたのか怪しいもんだと僕は思う。本当にクニョマヌウットン族に取材をしたのか疑わしい本だってある。けれどそんな本さえ見抜けない。

彼らの実態を知らないんだから、それは仕方ない。
けど本を読んで、それでもう十分だろうって思ってしまうんだ。どうしても。
多分、君も僕もそうだ。
クニョマヌウットン族のことでなきゃ、僕だって資料を集めて満足しちゃうんだ。
そうして本を書いちゃうんだ。そうして書いていくうちに、細かいところ、でも大事なところを、ぽろぽろ取り落として行くんだろう。
そしてまた、間違った本が出来てしまう。本の中だけのクニョマヌウットン族が育ってくんだ。
僕はそれが、すごく怖いことのように思う。




ああ、便箋がもうこんなに厚いや。もうそろそろ終わりにしないとな。最後にこれだけは聞いてほしいんだ。
こんな手紙を書いた理由さ。
なんで急にこんな手紙を?って、君は思ってるんだろうな。
でも、やっぱり今じゃなきゃダメなんだ。
今まではクニョマヌウットン族に興味を持つ人達なんて少なかった。だからこそ本の中に間違いがあっても問題は無かった。読む人自体が少ないし、実際に問題になる確率も限りなく低かった。
今はそうじゃない。
クニョマヌウットン族が取り上げられることが増えたよな。
クニョマヌウットン族に興味あるぜって言う人が増えてきたよな。
何が一番怖いって、そういう人達がまだマイノリティのつもりでいることなんだ。
もうそんなこと言ってられなくなってきてるんだ。
クニョマヌウットン族に関する本がたくさん出てる。クニョマヌウットン族好きを特集したコーナーだって増えてる。
今までと同じように、はもう通用しないんだ。
クニョマヌウットン族を本で知った人達が、クニョマヌウットン族に会う可能性が本当に高くなっている。
貴方の文化知ってますよってつもりで、クニョマヌウットン族の前で水瓶を指差して「アポー!」なんて言いだす人だっているかもしれない。

笑い事じゃない。本当にそういう映画があったんだ。そういうことしたらクニョマヌウットン族は怒るって、知らないで台詞書いてたんだよ。
その作品は、フィクションだった。普通のイギリス人とクニョマヌウットン族のラブコメディ。題材としては悪くなかった。言葉の通じない2人が少しづつ距離を埋めていく大事なシーンなんだ。落ち込んだ彼を笑わせようとするシーン。けど言った台詞がダメなんだ。中に水が入ってるものなんだから、「アポー!」じゃなくて「アパトソー!」じゃなきゃいけないんだ!
細かいだろ、ただの接頭詞の違いさ。でもさ、そんなのどうでもいいだろ、なんて思わないで欲しい。言葉1つにも歴史はあるんだ。
この接頭詞がどういけないのか。それを解説しようとするとクニョマヌウットン族と水の関係性について説明しなきゃならなくなる。彼らの信仰する宗教にまで片足つっこむ話だ。聞きたくないだろ。
僕も、言いたくない。だからその監督にもメール出したりなんてしなかったよ。
言っただろ、そういう指摘が一番嫌なんだよ、僕らはさ。
正しくないって言われたくない。それは「面白いものを作る」っていう、僕らの正義を守るために必要なことだったんだから。
政治的に、宗教的に、正しくない。なんて理由で本を焼かれたりなんてしたくないんだ。
けど、僕は本を焼きたいわけじゃない。
クニョマヌウットン族が好きな人達に、クニョマヌウットン族を傷付けさせたくない。
誰もそんなことしたいなんて思ってないだろ。でも、今はそうなりうるんだ。下地は整ってる。このままじゃ、いらない仲違いがおこっちゃう。

だから、もしクニョマヌウットン族が好きで、クニョマヌウットン族の本が書きたいって言うんなら。
せめてこちらから歩み寄らせてほしい。
僕達の声を聞いてほしい。

噂話になるようなクニョマヌウットン族は面白い。友達の友達のクニョマヌウットン族が、なんて話は楽しい。けど、創作が入りうる。そういう話だってことを、分かっててほしい。
ただ、一回だけでいい、クニョマヌウットン族自身の声を聞いてくれ。
クニョマヌウットン族が、クニョマヌウットン族として書いた本を読んでほしい。
そうしないと、君は本当のクニョマヌウットン族を知らないまま、クニョマヌウットン族を書いてしまう。
どこかに、クニョマヌウットン族が絶対に許せない行動があるかもしれない。
それを読者がやってしまうかもしれない。

そこで問題になるならいい。
多分、問題にならない。
クニョマヌウットン族の社会進出はまだ途上だ。
「私はクニョマヌウットン族だ。それは不快だ」と、言わなければ表れない問題なら、誰も言わなくなる。
社会でクニョマヌウットン族が透明になっていく。
それは駄目だ。
クニョマヌウットン族を愛する者として言う。それは駄目だ。









僕が君に出したこの手紙は、全部うそっぱちだ。
固有名詞も何も、エピソードも全部、うそっぱちだ。
でも嘘じゃないんだ。
起こりうるんだ。起こってるんだ。
どんな言葉を当てはめてもいいから聞いてくれ。
これは、全てのマイノリティで起こりうる話だ。




忘れないでほしい、君も僕も、いつかきっとマイノリティになる時が来る。