死に損なうということ

たとえばあなたが死に瀕しているとしましょう。

苦しくて仕方がないが、指先は重く、ぴくりとも動かず。
ただ伏せり、何もない空間を見るより他にない、何者よりも劣った存在になってしまったあなたに、愚にもつかない知識を与えましょう。
死に損なった先にあるのが、一体何なのか。



そうしてじっとしていれば、ある程度は傷が癒えてしまうものです。
何となく周りをとりまく薄ぼんやりした霧の中に、ただ自分1人でいるような。不安とか孤独とか、そんな言葉に近いようで、しかし決して晴れない薄いもや。空気まで薄まるようなそんなさなかの生活は、生きるとも死ぬともつかず。
ただ唯一確かなのは、衝動的に死ぬほどの激情ももう残ってはいないということ。
ここが死に損ないの始まりです。



ここから、幸運なことに私はルートを外れ答えに出会います。
答え、というと怪しい宗教のようですが、私を助けたものはそんなものではなく。ただ人と人の絆でした。
ここで勘違いしちゃいけませんよ。まず1つに、答えって多分人によって違います。なので、私が出会った答えを紹介してもまず他の人は鬱から治らないです。
もう1つは、これを聞いて無理に人と関わろうと思っちゃ駄目ですよ。無理にじゃないならいいんですけど。
鬱の時ってほんとぽんこつになるので、上手く人と関れなくなるので無理すると余計にダメージ受けるので。
私を治したものは、人と人との絆。具体的に言うと、かなり理想的な友情、をとある物の中から見出した結果、寛解に至りました。
これにより私のジョブはランクアップ、鬱の人から鬱だった人へ。
一日中ベッドの上でうずくまらなくてもいいし、ずっと頭の中で自分を責め続ける声もしないかなり人間らしい精神をゲットしたわけです。

それで理想の生活が掴めるのかというと、まあそんなわけもないんですよね。
元々が優秀な人だったらどうかは分かりませんが、ぽんこつが鬱になると治ってからも大変です。
なんと言っても鬱の間って自己否定しかてきませんからね!ニートしてた期間のことを空白の時間なんて言いますが、鬱の時こそ空白の時間って感じがします。何してたのか本当に思い出せないし、正直思い出したくもないし。
なんでまあ、ぽんこつが鬱治して社会復帰しようと思うとそりゃ大変ですよ。
人によっちゃオプションで人間不信くっつけて帰ってきますから、コミュニケーションにも難儀します。
しかも、大体鬱になる人って何かしらの欠点を抱えてたりするもんです。一方的にいじめられたとかなら違うかも知れないけども。
鬱で誰にでも出る症状って自己否定だと思うんです。延々と続く自己否定。
欠点なんて本来誰しも持つものです。けど鬱になった理由に関して、鬱々と考え続ける時、浮かぶのはその人のどこかしらの、多分薄々感じていたような欠点なんです。
鬱を経てもそれは治らない。どころか、自身がそれに敏感になってしまう。
欠点が大きな壁に見える。辛くなるたび、悲しくなるたび、その壁はあなたの前に重く立ちふさがる。
崩そうと奮起して、治そうとはりきって、出来ずに更に傷付く。



結局のところ、鬱を抜け出た先にあるのはただの現実だ。
普通の人が生きている、普通の現実だ。
そこが生きにくいから鬱になったあなたには申し訳ないが、そこにあるものは何も変わらない。
現実の先にただ現実がぶらさがるだけの、終わりのないただの、名もつけられない何かだ。
辛いことは変わらずそこにあり、常に人の目が付き纏う。
襲い来るのは人の目だ。あるいは不条理だ。上手く世を渡る不正者と、言葉につまづく自分自身。あなたの中に何かが足りないと、内から外から言われ続ける世の中だ。それが続く、きっとこの先一生続く。
ああこんなことなら、あなたは思う。
こんなことならあの時死んでいればよかった。





死に損なって死に損なって、死に損なった果てにあるのは、ただ長く続く現実と。
あなたがあの時死ななかったという事実だけだ。

あの時、結局死ななかった。
この先、どうしようか。そんな問いの中で、暗闇の中で、振り向けば、あの時死ななかったという事実だけがそこにある。
あの時、死ななかった。
結局、死ねなかった。
じゃあ、今は。



生きるということは、結局さして難しくはない。
きっと死ぬより難しくない。
後悔の繰り返しの中で、それでも背後には何かがずっとそこにある。
死ななかったという、ただそれだけの言葉が私を支えている。

死に損なうとは、そういうことだ。