【幕間】ブラインドネスとランタン=エンライテン

何故みんな自分をおしげもなく晒せるのかずっと不思議だったのです。

私は多分アスペでした。
いや今もアスペなんでしょうけど、子供の頃はもっととんちんかんな受け答えばかりしていたのだろうと思います。
何故そう自信を持って言えるのかと言えば、相手の怪訝な顔を今でも覚えているからです。
何を言ってるのかわからないと言いたげな顔が今でも目に浮かぶからです。
世界の全てが不思議だった。ただの偶然が何かと結び付けられてるんじゃないかと思った。
これは新しい発見だと、聞いてくれとせがんでいた。
けれど、その感動は伝わらないのです。
は?という言葉の元切り捨てられるのです。
どうせそうなのだと思うようになったのです。


不思議だったのです。
イラストや漫画や小説や、そういったものを人に見せられる人達が。
やってみたくて、やってみて、何故かとてつもなく苦しくて、やめてしまって。
皆こんな苦しみと戦ってるものなのだとずっと思っていたのです。
どうしたら人に怪訝な顔をされないのか、どうしたら言葉のチョイスがおかしいと言われずにすむのか、どうしたら個性的だね(笑)と言われずにすむのか、ずっと私の中の客観と戦って来たのです。

トラウマレベルのそれと向き合って、戦って、全部終わっても、そんな疲弊に見合う報酬などどこにも無いのです。


私は言葉が好きです。理論が好きです。
ありとあらゆる人間的感覚、それを言葉にしてくれる学問、感情を震わす演出方法、意欲掻き立てる弁論術。

だって、それを知れば私だって普通の人間になれるから。






と、思ってたんだなあと気付いた次第です。
今でも私の思いつきを聞いたときの小馬鹿にしたような姉の表情が浮かびます。
その時のショックが今でも胸を抉ります。

人によっては、そんなの普通でどこにでもあることだと言うかもしれません。
けれど、人並みのことをしていても私の魂が癒やされることは無くて、私はいつもそれに苦しんでいました。
それならばきっと私の魂が人並みではないのだと思うのです。

今、私はトラウマに気付いてやっと荷を下ろしたような気でいます。
思ったより根深く、全く関係ないと思っていた私の中の創作上の問題と興味の由来の2つがこのトラウマ起原だったことが驚きです。
と同時に、このブログを書くのは小説を書くのより苦しくなかった理由も分かりました。
私にとって小説とは人に理解されるよう書かなければいけないもので、そうしなければ批判されると思っていたのに対し、ブログはただの日記帳で理解されなくてもいいという認識だったからのようです。

まあ、とにかく。
トラウマというものは思ったより根深く、そもそもトラウマをトラウマと認識することすら難しいのかと呆然としてしまいます。
この分ですと、自分がトラウマを背負ってることすら気づかずに人生はこんなに行きづらいものなのかと思っている人がいそうでうわあどうしようねって思います。
まあ私の場合、このトラウマは簡単にどうなるものとも思いませんので、ゆっくり付き合っていこうと思います。
この手のトラウマは認識できた段階でほぼ勝ち確みたいなもんですしねえ。